「舞耶姉危ない!」そう言った言葉の方が早かったのか
舞耶の前にその身体を滑り込ませる方が早かったのかは自分自身理解する間も無く
達哉は振り下ろされるこの世ならざる異形(悪魔)の爪にその意識が薄らいでいくのを感じた
暗闇に薄明かりが差し込むような安らぎと
それでいて水の中から立ち上がるような気だるさとを感じながら
達哉はゆっくりとその瞼を持ち上げる
「達哉君?気がついた?」
心配そうな顔をした舞耶の顔が視界いっぱいに拡がった
瞬間今までのおぼろげな世界が鏡を返したようにはっきりとした現実の線を描く
達哉は自分が横になって舞耶のひざのうえに抱かれていることに
その自分を覗き込む視界を覆うような舞耶の顔に
それこそ顔から火が出そうになるのを必死に抑えながら立ち上がると
舞耶に背を向け辺りを見回した
「みんなは・・・・何処にいったんだ?」
シンと静まり返った室内には意識を失う直前まで共に居た他の仲間たちの姿はなかった
ただ静寂と、あまりに現実からかけ離れた冷たい石作りの遺跡が放つ
寒気にも似た独特の感触だけが充満していた
舞耶はそんな達哉の様子に安堵とちくりとした寂しさを感じつつ
その問の答えを目の前に立つ思いのほか大きく見える背中に返した
「この近くに回復の泉が無いか探しに行ったのよ
もし私の考えがあっていれば・・・・・」
答えはそのままこの奇妙な空間が持つ違和感への自分なりの結論の推考へと移行し
舞耶は黙り込んでしまった
そのあまりに突飛と言えば突飛であり、だが逆に今おかれている状況の中で考えれば
一番事実に近いであろう答は舞耶自身にとっても半信半疑なものであり
そんな考えに囚われていること自体馬鹿馬鹿しいような気さえした
「舞耶姉?」
不意に途絶えた背後からの声に、達哉は振り向きながら今まで浮かべていた
照れと気恥ずかしさの色を疑問のそれへと変え、その声の主の名を呼ぶ
「えっ?…あっ、ごめんごめん、何でも無いの…ちょっと考え事しちゃった
それより達哉君のほうこそ大丈夫?一応リカームはかけたんだけど・・・・
みんなが帰ってくるまで少し休みましょう?私もSP使い切っちゃったし、ね?」
頭上から聞こえてきた声に、舞耶は現実に引き戻されると
自分を見下ろす長身の少年にそう微笑みかけた
ひんやりとした石の感触と、隣に腰掛ける舞耶の温もりがひどく懐かしいような気がする・・・・。
達哉は思い出していた
十年前のあの夜を
あの時もこうして二人で並んで座った
舞耶を引き止めることも、行かせることも出来なかったあの時
守ることも、助け出すことも出来なかったあの時
燃える社に向かい伸ばした手の感触が、焼けるような背中の痛みが蘇える
そして夢と希望を見失った
大好きの女の思い出と共に・・・
握るこぶしに我知らず力がこもる。影の言葉がこだまする。
「夢をみることも、生きることさえ放棄している」
その通りだ。夢も希望もありはしなかった
ただ状況が許さない、とどまることの無い世間の流れに漠然と流されて、
この手は何も掴む事が無かった
何より大事なものを失ったあの時から・・・・
忘れることで取り戻そうとしたものがあった
封じることで守ろうとしたものがあった
だがそれは逃げでしかなかった。この十年、自分は生きることにさえ意味を見出せなかった。
失ったものがあまりに大きすぎて
「!」
そんな達哉の思いを知ってか知らずか、舞耶は達哉のこぶしをやさしく包みこむと
微笑みを浮かべ静かに告げた
「さっきはありがとう、私を守ってくれて」
こぶしから伝わる温もりと空気を震わす舞耶の言葉は、再び凍りだそうとした達哉の心をそっと覆う。
「だめだね私って、いつもみんなに迷惑かけちゃって」
自嘲したような笑みを浮かべ舞耶は続けた
「私がいなければこんな事にはならなかったのかな?
淳君と達哉君が争うことも・・・」
「違う!」
達哉は舞耶の言葉をさえぎると、その身体を強く抱きしめた
「舞耶姉の所為じゃない!舞耶姉は俺たちに大切なものを教えてくれたんだ
舞耶姉がいなかったら、俺たちは再び出会うことなんてなかった。絶対だ。」
達哉は搾り出すような叫びをあげる。抱きしめた腕が震えていた
「・・・俺は・・・怖いんだ、やっと取り戻したこの場所が、誰より大事なみんなが
舞耶姉があの時のように無くなるんじゃないかって・・・・
またこの手をすり抜けていくんじゃないかって・・」
舞耶には先ほど自分を包んでくれた達哉の大きな腕が
父への言葉にできない思いを断ち切ってくれたその温かさが
今は泣いている子供のそれに見えて仕方がなかった
泣いていたのは、自分の居場所を求めていたのは、私だけじゃない
みんな心の底で泣いていたのだ、迷子の子供のように
忘れることも、覚えていることもできない記憶を持って・・・・
舞耶は自分を抱きしめる達哉の腕にそっとその手を重ねると、小さく囁く
「私はここにいるわ。もうどこにも行かない・・・
だって達哉君が言ってくれたから「泣きたいときは、泣けばいい」って
私やっと見付けたんだよ、自分の居場所を、自分の泣ける場所を、達哉君の隣に・・・」
達哉は舞耶の言葉に、押しつぶされそうだった孤独への恐怖が
自分への絶望が和らいでいくのがわかった
影の言葉が消えていく、もう夢を、生きることを諦めたりはしない
夢を過去を取り戻したから。仲間を誰より大切な女を思い出したから
もうこの手からすり抜けさせたりはしない。必ず掴んで見せる。守って見せる
この場所を、この女を
それは何より強い願いだった
達哉の腕は心地よかった。思えば父を失ったあのときから、
誰かにこうして守られたことなどあったろうか?
包み込んでくれた温もりがあったろうか?父と同じ大きな腕で・・・・・・
舞耶は達哉の腕に寄りかかり、ずっとこのままでいられたら、そう願った
・・・・・・・・・・その瞬間
――――うそつき―――――
舞耶の中でマヤが笑った
――ずっと?一緒にいる?ほんとは解っているくせに、
この先に待っている未来を、運命を――
『うそなんてついてないわ!運命なんて知らない、信じない!
あるのは切り開いていく未来だけだもの』
舞耶はマヤにその言葉を返す、心の裏で笑う自分に
――うそつき、そして彼を置いていくのね?誰より孤独を恐れる彼を――
『違う!私たちは帰るの、みんなで、みんなが出会ったあの場所に』
――だったらなぜ彼に言わないの?
彼の気持ちを知っているくせに、誰よりそれが嬉しかったくせに、
怖いんでしょ?認めることが
認めてしまえばほんとになる。お父さんと同じになる
認めている心を、私を隠しても私は私、消せやしないのに――
嘲るようにマヤが笑う
『やめて!私はどこへも行かない。ここが私の居場所だから、
やっとたどり着いたんだもの
私が私でいられる場所に』
舞耶はまっすぐにマヤを見つめてそう言い放つ
マヤの目がそんな舞耶を哀れむように見つめた
――馬鹿な私、哀れな私・・・本当に罪深いのは誰?――
――死にたがっているのは誰かしら?――
舞耶は耐え切れず叫んでいた
『消えて!言ったはずよ、私は死にたがってなんていない
私はここにいるわ、そして必ず帰るわ、みんなと一緒に。』
マヤは一瞬悲しい笑みを浮かべると、その姿を掻き消した
――うそつき――
自分の言葉が胸を焼いた
「今度こそ守る、舞耶姉も、みんなも。二度と失ったりはしない。もう二度と」
達哉の声が舞耶を呼び戻す
その力強い腕の中でもう震えてはいない腕の中で舞耶もまた強く願っていた
もっと強く抱きしめて
私をその腕の中から離さないで
あなたの隣で微笑ませていて
お願い、私を逝かせないで!